日常の備忘録

毎日思ったことを書いていきます。

それは継続か、習慣か

 

こんばんは、小山内です。ブログを3日連続更新するのはじつは初めてなもので。今日は「継続」についてお話ししたいと思います。

 

これを読んでくれているあなたは今現在、何か「続けている」ことはありますか?たとえば本を読むこと、ブログを書くこと…そしてそれを続けた先に何か小さな野望はあるのでしょうか。ここで言いたいのは、「続けていること」の捉え方はおそらくふたつありますよね、ということです。なんとなく続けている継続と、何かのために続けている継続。後者は、やっぱり目に見えて、そして社会的的な文脈で評価されるためにやっていることが多いのではないかと思います。

 

たとえばブログを続けている人は、その先に 「月間50万PV」だとか、本を読み続けている人は、「自分も何かを書いて認められたい」だとか。継続の目指す先にやはり何かがあると思うのですよね。この何かとは壁ですよね。継続しないと壊れない壁です。そしてその壁に辿り着く道中にもいくつもの小さな壁がある。この壁があるということは、継続するために必然というか不可欠であるように思います。

 

じゃあ目的のない継続は存在しないのか?ということになりますけれども、でもそれはどちらかというと「習慣」に近いものかもしれませんね。毎日コーヒーを飲む、毎日花の水やりをする。それは続けていることだけれど、継続ではなく「習慣」ではないでしょうか。そうそう、やっぱり毎日コーヒーを飲んだ先に何があるのか?だと思うんです。コーヒーを飲むことで一日一日更新される何かを期待しているのなら、それは継続だと思うのですが、「毎日コーヒーを飲むこと」自体に価値を見出していたら、そこに壁はないですよね。だから習慣なのではないかなぁと、あくまで私個人の考えですどね。

 

だから継続って習慣より難しいのかもしれませんね。わたしも、もうだいぶ前から花の水やりをしているのですが、そこに乗り越えたい壁はないんですよね。花の水やりをした先になりたい自分は、とくにないんですよ。ちょっと前までこれは継続だと思っていたんですけどね。ここまで書いてきたことに気づいたら、花の水やりは習慣でした。

 

やっぱり、継続の先にはいつも、なりたい自分がいるのではないかなと思うんです。そのためにどうしても他人からは見えないし教えてももらえないような壁がいくつもあって、それを一つずつ叩いて壊していくこと。それ自体が継続なのではないかと思うのです。そしてゆくゆくは目に見えた力になる。まさに「継続は力なり」だということではないでしょうか。そうですね、この言葉を逆説的にとらえると、「継続は力を手に入れるために不可欠なもの」なのかもしれません。

 

いま、これを読んでくれているあなたが続けていることがあるとしたらそれは継続でしょうか、それとも習慣でしょうか。どちらが良いとか悪いとか、もちろんそんな話ではありません。そうですね、わたしは毎朝の花の水やりをしている時間が、今の生活の中でとっても幸せです。